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〈ましこのごはん〉益子の日常を「農業」と「陶芸」、そしてそれらが交わる「食」の観点から、「ましこのごはん」として紹介します。
器を作る人~船越弘さんの器~
最初は器を作りたくて益子に来たわけではなかった
昭和54年、船越さんは益子に移住してきました。当時26歳。
建築関係の勉強をしてきた船越さんは当時流行りでもあった「陶壁」の仕事に興味を覚え、全国でもまだ珍しかった陶壁を専門に制作する益子の「益子陶飾」に入社します。それが船越さんにとっての益子の入り口、陶芸への入り口となりました。
「もともと陶芸や益子という土地に興味があって来たのではなく、どちらかというと『陶壁』という技法に興味を覚えて益子に仕事を求めて来たという感覚だったんです」
益子陶飾で働きながら暮らす中で次第に益子の作家のライフスタイルに惹かれるようになりました。自然と器にも興味を覚えるようになり、木村充さん※1の下で陶芸を学ぶようになります。
「木村さんは弟子はとらない、という主義だったのですが、子ども好きで有名な方で。たまたまご縁があって遊びに行かせていただいたときに当時生まれたばかりの自分の子どもを連れて行ったらあっという間に気に入られて(笑)」
昼は益子陶飾で仕事、夜は木村さんの所で修行という日々が8年間続きます。
自分が作りたいものを作って暮らしたい
「益子陶飾」での勤務を終えた後、陶芸教室「宇都宮陶芸クラブ」に勤務。生徒に焼き物を教える仕事に就きます。
その後、益子で木村さんのアシスタントを務めながら自分の制作を始めます。
「私の作風は木村さんの影響が大きい。制作を始めた頃は器がメインで、出来たものをお店に卸す仕事がほとんどだった」
1998年、木村さんが他界し、それまで木村さんが開催していた展示会は船越さんが跡を継ぐ形で行うようになっていきます。
その頃から「個人作家」としての仕事の在り方を模索するようになりました。
2004年 益子町道祖土にて独立。
「益子の素材に特にこだわりを持っているわけではないが、できるだけ自分が住む土地の素材を生かしたいとは思っている。自分は八方美人にはなれないし、自己PRも苦手。だからこそ逆に人に合わせるよりも自分が作りたいもの、使いたいものを中心に作って暮らしていきたい。その方法を日々模索しながら作っているんです」
器選びは意外性で楽しむのがよい
近年始めたスリップウェア※2は木村一郎さん※1の影響だと言います。
「スリップの洋風なイメージが色々と料理を盛り付けた時のイメージを掻き立てるんです。例えばケーキを乗せたところを想像してみたり…」
「同じ器の中でも好きな部類はある。私は何でも取っ手のついたものが好き。見た時の全体のバランスが好き…なのかな。コーヒーが好きだから、カップの取っ手にこだわったり、お酒が好きだから色んなぐい吞みを作っては使い勝手を試す、という理由でお酒を飲み続け奥さんに怒られたり…(笑)。ずっと持ち続けているぬか床があるんです。その漬物を盛り付ける器を考えるのがまた楽しい。器選びは意外性で楽しむのが良いと思います。決まった使い方にとらわれる必要はなく、色々と盛り付けを楽しんでほしいですね」
だから益子で仕事がしたい
「益子にある伝統を生かしつつ、古いスタイルにはとらわれない、新しいものを作っていきたい」
船越さんの器は見た目は重厚、でも手に持ってみると軽さに驚きます。
「そのギャップを感じているお客さんの反応を見るのが楽しくて。益子は小さな町なのに人を惹きつけてやまない。多種多様な人が同じ地域に共存しているから刺激が多い。本当に面白い所ですね。益子に強いこだわりがあるわけではないんです。だけど好きな人が益子にたくさん住んでいる。だから益子で仕事がしたい。今の世の中を生き抜くのはなかなか難しい。でも、どんなにしんどくても今のこの暮らしと仕事が好きなんです。30年以上益子で陶芸を続けてきました。この町で生活そのものを楽しむこと。それが全て仕事に生かされていくし、作品に出てくると思うんですよ」
天青窯 船越弘
1958年 埼玉県熊谷市生まれ
1984年 益子にて陶壁制作の仕事に従事
1991年 木村充氏に師事
2004年 益子にて作陶開始
※1 木村一郎氏の婿養子
木村一郎氏は1915年益子生まれの陶芸家。京都での修行を経て1940年に益子に帰郷。作陶を始める。京都で学んだ技法と益子の素材を合わせたモダンな作風で当時としては異彩を放つ。
※2 白色や有色の泥漿状の化粧土(スリップ)で文様を表面に描き、釉薬を掛けて焼く陶器。
次回は、〈ましこのごはん 大根編〉をご紹介します。