文化財詳細

カヤ

カヤ

かやカヤ

町指定(昭和52年年7月18日指定)

種類
天然記念物
時代
年代不詳

芳賀富士と呼ばれ、美しい山容をみせる大平山の南麓、小宅から茂木町北高岡への道から少し外れて所在する安善寺。ひっそりとした佇まいは、本寺の創建事情にある。本寺を創建した平貞能は平家譜代の武将で、平清盛・重盛に仕え源平合戦では平家方の侍大将として活躍した。平家滅亡後、貞能は宇都宮朝綱を頼り投降した。貞能に恩義のあった朝綱は源頼朝に助命嘆願し、許された貞能が建久5年(1194)に創建したのが安善寺である。寺の創建には大羽を拠点とした宇都宮氏の援助が考えられる。本堂は周囲の水田面より高い平坦面に造られている。本堂の西・南面には大平山からの湧水を引き込み池にしたと推測される。本堂前面は大羽地蔵院と同じような浄土庭園が展開していたと想定される。貞能は本堂で無常にも死んでいった重盛をはじめ平家一門の霊魂の安寧を祈ったと考えられる。なお、貞能は同じような目的で、那須塩原市の妙雲寺や茨城県城里町の小松寺を創建している。
カヤはいちい科カヤ属で本州関東以西から九州の山地に他の樹木と混合してはえまた栽培される常緑高木。高さ20m、径90m。樹皮は滑らかで灰色、若枝は緑色だが後に赤褐色。小枝は三叉状。葉は光沢があり長さ2~3㎝、螺施状またねじれた枝で左右2列。雌雄同株。花は晩春。種子は翌年晩秋に熟し食用や薬用となる。材は碁・将棋盤にする。種小名は堅果を有するの意味。安善寺を再建した際、財力不足のため門を建てることができなかったので、その代わりに植えたものと伝えられている。

参考:『益子町の文化財』

所在地
大字大平202
所有者
安善寺