文化財詳細

大郷戸廃寺跡五輪塔群

大郷戸廃寺跡五輪塔群

おおごとはいじあとごりんとうぐん大郷戸廃寺跡五輪塔群

町指定(昭和48年年2月7日指定)

種類
考古資料
時代
鎌倉時代

大郷戸廃寺跡近くの行灯峰山中(もとは国有林であったが、戦後中腹より下が開放になり開墾され畑地となっていた)より、昭和35年(1960)4月21日土砂崩れによりおびただしい数の五輪塔が散在した状態で現れた。また、五輪塔とともに火葬骨を入れた瓶子5個が発見され、そのうち五輪塔1基と瓶子1個は供養のため普門寺に納められたが、推定で15基ほどの五輪が持ち去られた。残りの大部分は畑の土止めに使っていたが、地区内に病気が続発したのに驚き、5基を組み立てて供養したのが現在の五輪塔である。時期は鎌倉時代末期から室町時代初期頃のもとと推定される。また、最近の発掘調査の結果、5基の五輪塔の他に地輪20基、水輪3基、火輪21基、空風輪20基が確認できた。

参考:『益子町の文化財』

所在地
大字大郷戸
所有者
益子町